相談室

考え 共有 人間 社会

#006 コトバは生きている

 人と話しているときに、自分の考えに気づくことがあります。まるでそこには一万年前から存在していたかのように、それはふと姿を現すものです。

 あるいは、文章を書くことによって、まだ考えがまとまらないままに書いていたとしても、思考の糸と糸が結び合わさるかのように一つの姿を作り上げているときがあります。

 私達は言葉によって思考しているのでしょうか。しかし言語が発達する以前の人間にも何らかの思考があったはずですし、動物にも、これは人間より簡単なものかもしれませんが、何らかのシステム的な思考が備わっているはずです。

 おそらく言葉によらないでも人間は思考することができます。ですが私たちの持つ思考の大方の仕事を担っているのは言葉であるというような気がしているのです。”言葉それ自体が思考する生き物である”と言っては言いすぎでしょうか?私達はむしろ、彼らの思考に便乗しているにすぎないのかもしれません。

 

コトバの生態

 言葉はそれぞれに役目を背負って存在しています。名詞があれば動詞があり、接続詞もあれば副詞もありますね。言葉はある程度の広い範囲において、しかしそのつながりを限定されているものです。ここにまず一つ目の生態があります。言葉の要素一つ一つがそれぞれに指向性を持って存在しています。そしてこの指向性は各人が持っている言葉によって違いますが、異なる性格を有しているものです。

 他の生物と同じように、よく動くものもいれば、静かにじっとしているものもいますし、明るいのもいれば暗いのもいる。観察をしていると、その差は万別ですが、猿が毛づくろいをするように、猫が家に戻ってくるように、決まった習性を持っていることが分かります。そのときどきによって多少の変化はあっても、彼らの行動には枠組みが与えられています。

 そしてそれは全く悪いことではないですし、多くの場合において枠組みとは必要なものです。もし、この宇宙のどこに行っても良いとしたら、私達は途方にくれてしまうでしょう。しかしこの場合においても、「私たちの知っている宇宙」という枠組みが与えれているわけですが。

 

 二つ目に私が考えることは、言葉の普段行っている仕事です。彼らはいつも私達の抱えている有象無象に適切な形を与えてくれます。人間の中には膨大な情報が流れています。それを彼らは汲み取り、まとまった形に切り取り、必要であれば名前を与えます。

 このような規定性は人間の持つ霧のような感覚を構造化し、そして論理として組み立てます。彼らは絶えず人間の論理と感性の相互コミュニケーションの橋渡しを担っています。

 なぜ、人間の感性に形を与える必要があるのか?認識を共有するためです。それも可能な限り誤差のない範囲において共有しなければなりません。人間の文明とは共有知であり、分断されている肉体を飛び越えて一つになることが必要なのです。

 

 そして言葉は新たな情報を生み出し、発展の可能性を示します。人間が言葉を持ち続けている限りにおいて、そのエネルギーは核分裂のように爆発し、誕生と死滅を繰り返していきます。

 私達は言葉によって情報を得、そして言葉によって情報を生み出しています。彼らは人間の意識と無意識のサイクルを泳ぎながら、ますます巨大になっていきます。人間の発明した言葉は、私達をその住処として成長を遂げてきました。そしてこれからもそうあることでしょう。

 

コトバの飼い方

 彼らのために私達ができることは、可能な限り可愛がることです。常に快適な環境を提供して、その指向性と規定性、そして発展性を阻害しないことです。

 私の実践していることをいくつか紹介しましょう。メモを常に用意すること、毎朝日記を書くこと、人と話すことです。これだけでも揃えることです。植物に毎日水をやるように、犬を毎日散歩に出すように、かわいがってやるのです。

 そうすれば、彼らはより活発に働き、結果として私達とその世界に対して、より大きなものをもたらしてくれるはずです。 私はそう信じています。