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#003 タバコは悪くない

 タバコは吸いますか。最近では若い世代でタバコを吸ってる人なんて少数派ですね。

 初等教育の過程ですり込まれた不健康なイメージがあるし、むしろ極端な場合、”ダサい”なんて言われる始末です。しかし一日1本程度のライトスモーカーの私が言うのもなんですが、実際には世間で思われているほどタバコは悪いモノではありません。

 

不当なパブリック・イメージ

 タバコのイメージを明らかに悪くしているのは健康被害のことでしょう。小学校でも中学校でも年に一回くらい、私たちは一時間を割いて外部の講師による演説を聴かされました。早く老け込むとか、肺がんのリスクが高まるとか。真っ黒な肺の画像は確かにインパクトがありました。こうした刷り込みが効をなして、特別な動機が無い限り吸うことは無くなってきているようです。

 ですが実際の健康被害については反論もあります。端的な例を挙げれば、肺がんのリスクは喫煙者と非喫煙者とではほとんど変わらないというものです。肺がん患者は年々増え続けていますが、喫煙者は減少傾向にあります。詳しい論証はここでは述べませんが、調べてみると面白いでしょう。極端なヘビースモーカーでもない限り、「百害あって一利なし」なんて言えないというのが私感です。

 何にせよ、現代におけるタバコの害については誇張されすぎている節があります。映画での喫煙シーンにさえ規制がかかるというのが昨今です。もはや洗脳とさえ言えるのではないかと疑うレベルなのです。私に言わせれば、タバコよりも不健康とさえ言えるかもしれない現代の悪質な食品に対して何の疑問も持たない方がおかしいというものです。

 

儀式と作法

 それではタバコを何の気なしにばかすかと吸っても良いのかというと、そうは思いません。何事にも適量というものがあり、そして作法があります。

 もともとメソアメリカ文明での儀式で使われる特別な植物であったタバコですから、日常の中においても少しばかり神聖なものであるべきです。タバコを吸うという行為には、少なからず内省を伴います。ゆっくりと吸いながらちりちりと火を燃やし、そしてゆっくりと煙を吐く。この一連の動作が、一時的にせよ、私を世界から隔離してくれるのです。情報過多になりがちな日常において、この数分の静かな時間は貴重です。瞑想的であると言えるかもしれません。ですから、何かをしながら煙をただせわしなく吸っている人はこの時間を無為にしていると言えます。携帯の画面を覗きながら食事をする人と同様で、品がないように思いませんか。本質は、立ち上っていく煙を眺めながら、自分の内に潜ることです。

 あるいは、誰かと一緒に吸うことでその空間・時間を共有することも良いかもしれません。コロンブスが新大陸で先住民により贈られた煙草は、友好の証でもあります。紫煙には平和的なものが漂っています。向かい合っていたとしても手持ちぶさたではなくなるからでしょうか、不思議と気まずい感じが無くなっているのです。

 

さりげなさ

 人が吸うさりげない煙草、この「さりげなさ」にその人の最も孤独な部分が現れるように思います。それはとても儚い感じがして、そこでは人の内に向かうエネルギーが働いています。

 煙草といえば映画で思い浮かべるのが「パルプ・フィクション」だと思うのですが、ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を紹介しておきましょう。私はこの劇中でのさりげない煙草が愛おしくて仕方ないのです。

 特にこれといった内容のない映画です。ただ、煙草を吸うというような挙動でさえ見入ってしまう価値がそこにあります。本当にクールです。それは、この映像が作りだしている価値でもありますが、しかし、タバコを吸う人々の間に流れているものをこの監督が捉えたということでもあります。もし、この作品を見ても何も感じないようでしたら、タバコなんて吸わずに生きた方が良いでしょう。

  

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