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#009 キモチワルイキレイ(2)

 

 

私の存在

認識する主体としての「私」は実に不確かな存在です。私たちは常に何ものかを認識し、知覚を働かせています。その舞台であり認識の対象たるものは「世界」であり、普段私たちはこの条件に対して何ら疑問を持つことはありません。

しかしよくよく考えてみるとこの条件付けは常に仮定の範疇を出るものではなく、いっさいの根拠を持つものではありません。

この前提の上に成り立っているのが私たちの意識です。私の存在はこの不確かな世界に放り投げられたものにすぎず、「われ思う、故にわれあり」の「われ」もまた、仮定の範疇を出ないものです。水槽に浮かべられた脳のイメージは、ただの笑い話ではなくなっていきます。

 

そうなると一体何がいちばん確かなことなのでしょうか。