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#007 シンプルライフの憂鬱

 シンプルライフとか、ミニマリストなんて言葉がこの数年で一気に定着しました。

 要は自分にとって本当に必要な、エッセンシャルなものとだけ生活を送っていこうという考え方です。私自身もあまり不必要なものは取り入れないですし、人から見ればそのような考え方の人間だと思われているかもしれません(実際のところ、小さい頃から私はそうでした)。

 私が最近になって思うのは、今浸透しつつあるこの考え方の負の側面にです、何らかの危険性が隠れているのではないかということです。

 

切り捨てること

 そもそもシンプルライフやミニマリストを実践している人たちの目的とは何なのでしょう。それを実践していること自体に意味を見出しているという側面(なんとなく、シンプルはクールだというイメージがあります)を除けば、大きく見て2つあるとみえます。一つには生活レベルでの改善、そしてもう一つは感情レベルでの改善という意味合いがあります。

 

 不必要なモノとコトを手放すことによって、まず得られるものは時間です。エントロピー増大の法則によって、私達の周りの情報は放っておけば爆発的に増えていき、そしてそれらは私達に向かってあらゆるシグナルを飛ばしてくるものです。それらは多くの場合、何らかの解決を求めています。そしてこれは避けられないことに、私達の時間を申し分なく奪っていくものです。

 例えば床に積んでおかれた本は「私を読め」と言ってくるでしょう。駅前で買ってきた冷蔵庫のカスタードプリンは「早く私を食べて」と言ってきますし、処理しきれない洗濯物や洗い物もじっとこちらを見ては無言の圧力をかけてきます。モノだけではありません。ツイッターを開けばさあ踏んでくれと言わんばかりの青いリンクの羅列が押し寄せてきますし、メールボックスには大量のセールスが来ています。

 大量のノイズが私たちの生活に潜んでいます。気づけば2,3時間がたち、そしてそのまま一日が閉じていきます。そんなとき、「今日も私は生活に追われてしまった」というような気分にさせられています。こんな状態を避けるためには、やはり情報量を意識的に減らしていく必要があります。簡単です。自分を取りまくモノとコトを手放すか、距離を置くかすれば、可処分時間は自ずと増えていくものです。これが大きな目的です。

 

 更には感情面での変化もあるかと思います。不必要なモノを手放すということは、必要なモノが手元に残るということです。自分と親和性の高い情報とだけ触れながら生活を営んでいくことになります。これは何よりも生活の満足度を高めてくれます。星2.8だった平均レートは情報の選別によって4.4に上がることでしょう。やりたくないことはやらないのですから、やりたいことだけやっている状態です。彼はもう自分の人生を生きています。本質的なレールに沿って生活しているのですから。

 

切り捨てられた構造

 こう言ってしまうとまるで良い事ずくめのような気がします。でも待ってください。充実した生活を手に入れて満足し、そこに安住することによって何かを忘れていっているとは思いませんか。

 エッセンシャルな生活を掲げる彼らの生活は実にシステマティックです。それぞれの嗜好を除けば、無駄をなくしていくということに関しては共通の方向性でしょう。たしかに先程述べたように無駄をなくしていくことによって生活の質は向上していきます。しかし多くの人間がこの方向性を突き詰めていけばいくほど、社会は味気ないものになっていきます。

 どういうことかと言いますと、シンプルを追求するのであれば、人々は「本当に好き」なものだけを残し、そして「そこそこ好き」以下の物事は切り捨てていくからです。そうなってしまうとあらゆる市場における規模は(マーケティング理論におけるアーリー・マジョリティ層の減少により)縮小していきます。もはや人々は「大好き!!」と言える物事しか取り入れようとはしていないのです。

 「マスの消滅」により、あらゆる物事は鋭角化していきます。より細かいセグメントに対するマーケティングが必要だからです。これは無意識的にも起こる現象です。そしてそうなってしまうとムラ社会はどんどん進行していきますし、お互いに対する線引きがどんどんなされていくことでしょう。人々の間に流れているものは、「あいつらはわかってない、ダサい」という無言の、しかしゆるやかな敵対意識です。

 何となく嫌だなという感情が増幅されていき、知らず知らずのうちに人間関係は希薄になっていきます。なんせ本当に好きな人と以外は付き合わないんですからね。付き合いの飲み会に行くくらいなら、自分の好きな映画でも観ている方が良いのです。

 これらのことの何が問題かと言うと、シンプルこそ良い人生というような方向性が社会全体で進んでいくとある種の多様性が失われていくことです。カルチャーや思想によって分けられたムラはどんどん細分化され、その数を増やしていくことにはなるのですが、その分パイは減少しています。一つのカルチャー、あるいは思想が発展していくためには基盤が弱すぎるのです。支持母体におけるマスの割合が減少することは、絶対数の損失です。20%の人間が80%の利益をもたらすとは言っても、外観は人がまばらで、「何となくしょぼい」という結果になりはしませんか。

 

切り捨てないこと

 社会における営みにはやはりある程度の絶対数が必要です。人々の賑わいのような、そうした社会の活気を求めるのであれば、「そこそこ好き」な人たちによる、ゆるやかなつながりを維持するべきなのです。その支えがあってこそ、雑多で(無駄ではあるけれど)しかし心地よい社会があるというものです。そちらのほうがより多くの人が住みよいところだとは思いませんか。そのためには何事も切り捨てすぎるのではなく、それぞれにある程度ゆるやかな幅を持って生活を営むことを忘れてはいけないのです。